同じ誕生日に生まれた表現者の中でも、松崎しげるのバイタリティと紫吹淳の洗練された自己確立の軌跡には、目を見張るものがあります。芸能界という栄枯盛衰の激しい世界において、なぜ二人は半世紀近くも輝きを失わないのでしょうか。
松崎しげるは、代表曲『愛のメモリー』が1977年に大ヒットして以来、通算公演回数やステージでの発声クオリティを一切落としていません。自ら主宰する音楽フェス『黒フェス』は、音楽関係者の間でも「ベテランが世代の垣根を越えて若手アーティストと真剣勝負を挑む稀有な現場」として高い評価を得ています。取材に応じた音楽プロデューサーは次のように証言しています。「松崎さんの驚くべき点は、加齢によるキーの変更を極力拒み、徹底した声帯トレーニングと基礎体力の維持を日課にしているプロ根性にあります。日焼けのキャラクター性ばかりが取り沙汰されますが、本質はストイック極まりないアスリート気質なのです」。
一方、紫吹淳が歩んできた道のりは、自己改革の連続でした。1986年に宝塚歌劇団に入団後、抜群の手足の長さとシャープなダンスで頭角を現し、2001年に月組トップスターに就任。退団後は舞台を中心に活動しながらも、私生活を一切自分で行わなかった「ばあや(マネージャー)」との特異な生活様式をバラエティ番組で公表し、世間を驚かせました。しかし、関係者への取材によると、マネージャーの逝去や独立という人生の激変期を経験した彼女は、自活能力を身につけ、精神的な成熟を深めることで舞台人としての表現力を劇的に進化させました。自己を相対化し、弱みすらも魅力に変えてしまう柔軟さこそが、彼女を一流の舞台女優たらしめている理由です。