この劇的な勝利の背景には、地形と敵将の心理を完璧に読み切った韓信の戦略がありました。当時、劉邦の命を受けて北方の平定を進めていた韓信の軍勢は、新兵を中心とする数万程度に過ぎませんでした。対する趙軍は約20万の精鋭を誇り、険峻な山道である井陘口に堅固な要塞を構えて待ち受けていたのです。
趙の参謀・李左車(りさしゃ)は、「井陘の隘路は細長く、補給部隊が後方に伸び切るため、間道を通って敵の糧道を断ち、前線で正面衝突を避けて持久戦に持ち込めば、韓信の首を討ち取れる」と総大将の陳余に進言しました。しかし、儒学者肌で「大軍が小軍を相手に奇策を用いるべきではない」と自負していた陳余は、この優れた策を一蹴してしまいます。
スパイを通じて陳余が正攻法で来ると知った韓信は、夜陰に乗じて二千の軽騎兵に赤い旗を持たせて趙軍の砦の背後に潜ませました。そして夜明け前、あえて兵法のタブーとされる「背水の陣」を布陣させたのです。「後ろに川があれば退却できない。漢軍の指揮官は素人に違いない」と趙軍を油断させ、全軍で砦から出撃させるための周到な撒き餌でした。