夢の未来図として熱狂的に迎え入れられた列島改造論は、皮肉にもその発表直後から制御不能な副作用を引き起こします。最大の発火点となったのが、前代未聞の土地投機ブームでした。
「ここに新幹線が通る」「高速道路のインターチェンジができる」という情報や憶測が飛び交い、開発予定地と目された地方の山林や原野に不動産業者や開発業者のマネーが殺到しました。農地や山林の買い占めが横行し、1973年の公示地価は全国平均で前年比30%以上も跳ね上がるという異常事態に発展します。実需を伴わないマネーゲームが国土全体を覆い尽くしました。
事態をさらに致命的なものにしたのが、世界情勢の激変でした。1973年10月、第4次中東戦争の勃発に伴い第1次オイルショック(石油危機)が発生。原油価格が4倍に跳ね上がると、すでに土地投機で過熱していた日本経済に猛烈なインフレの炎が燃え広がりました。
企業による物資の売り惜しみや消費者の買いだめパニックが頻発し、スーパーの店頭からトイレットペーパーや洗剤が消え去る光景が連日報じられました。1974年の消費者物価指数は前年比約24%上昇を記録し、世に言う「狂乱物価」の時代へと突入します。国民生活は突如として困窮し、人々の不満の矛先は列島改造を煽った田中内閣へと向けられました。
事態の収拾を図るため、政府は急遽「総需要抑制策」へと舵を切り、公共事業の凍結や金融引き締めを断行せざるを得なくなりました。拡大路線をひた走るはずだった列島改造の巨大プロジェクト群は次々と凍結・見直しを余儀なくされ、さらに田中角栄自身の金脈問題が重なったことで、1974年12月に内閣は総辞職。こうして列島改造論は、経済の混乱を招いた「失敗の象徴」として歴史に刻まれることになりました。