観阿弥・世阿弥親子が活動した南北朝から室町時代初期、能は「猿楽の能」と呼ばれ、各地の寺社の祭礼で演じられる大衆的な見世物でした。当時の猿楽は、滑稽な物まねや曲芸を中心とした賑やかな芸能であり、貴族や高僧が嗜む優雅な「田楽(でんがく)」に比べると格下の扱いを受けていたのが実情です。
この力関係を根底から覆したのが、大和猿楽四座の一つ「結崎座(ゆうざきざ・現在の観世流の前身)」を率いていた父・観阿弥(1333〜1384年)でした。観阿弥は、従来の物まね芸に当時流行していたリズミカルな歌舞「曲舞(くせまい)」を大胆に融合させ、ストーリー性と劇的な叙情性を併せ持つ革新的な舞台を創出しました。
運命の転換点は応安7年(1374年)、京都・今熊野神社での演能です。当時17歳だった室町幕府3代将軍・足利義満の庇護を取り付ける契機となったこの舞台で、観阿弥の卓越した演技とともに、当時12歳前後だった美貌の息子・世阿弥(幼名:鬼夜叉)の舞姿が義満の心を強く捉えました。
最高権力者の後ろ盾を得た親子は、貴族社会に受け入れられる洗練された美意識を吸収しながら、猿楽能を武家・公家社会の頂点に君臨する一大芸術へと飛躍させていきました。