阿倍仲麻呂が生きた8世紀は、東アジア全体が激しい政治・文化の変革期にありました。日本は律令国家としての骨格を固めるため、唐の進んだ法制度、仏教文化、天文学、土木技術を渇望していました。
同期の留学生であった吉備真備は、無事に日本へ帰国して右大臣にまで上り詰め、唐で得た軍事や天文学、法制度の知識を駆使して日本の国政を近代化させました。一方で仲麻呂は、唐の内部から国際政治を動かし、遣唐使一行の受け入れや日唐外交の円滑化に大きく貢献しました。
海を渡った二人の天才が、それぞれ「唐の朝廷の中枢」と「日本の朝廷の中枢」に立ち、命がけで知と文化の橋渡し役を担ったのです。仲麻呂の帰国は叶いませんでしたが、彼が唐で築いた名声とネットワークは、遣唐使という過酷な事業の意義を決定づけるものとなりました。