村雨は、海軍の軍縮条約下で建造された白露型駆逐艦の3番艦として、1937年(昭和12年)に大阪の藤永田造船所で竣工しました。優れた速力と魚雷兵装を備えた一等駆逐艦であり、同型艦の夕立、春雨、五月雨とともに第2駆逐隊を編成。太平洋戦争の開戦以来、比島(フィリピン)攻略戦やミッドウェー海戦、ガダルカナル島を巡る数々の戦いで最前線に立ち続けました。
しかし、運命の暗転は1943年(昭和18年)3月5日の夜に訪れます。コロンバンガラ島への物資輸送任務(鼠輸送)のため、駆逐艦「峯雲」とともに出撃した村雨は、補給を終えた帰途、クラ湾出口付近のビラ・スタンモーア沖で米第68任務部隊と遭遇しました。これが後にビラ・スタンモーア夜戦と呼ばれる戦いです。
当時、米艦隊は最新の電波兵器(レーダー)を活用した夜間射撃管制を確立しつつありました。暗闇の中から放たれた米軽巡洋艦3隻・駆逐艦3隻による猛烈な集中砲火と魚雷攻撃を浴び、村雨は後部機械室や弾薬庫に被弾。大爆発を起こして炎上し、わずか数分から十数分の間に沈没へと至りました。艦長の種子島洋二中佐以下、一部の乗組員は奇跡的に島へ泳ぎ着いて生還したものの、100名を超える尊い命が南溟の海へと消える結果となったのです。