なぜ一夜で崩壊?ベルリンの壁を開けた「歴史的勘違い」と再統一の全貌

なぜ一夜で崩壊?ベルリンの壁を開けた「歴史的勘違い」と再統一の全貌

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第二次世界大戦で敗北したドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の4カ国によって分割占領されました。その後、1949年に資本主義体制の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と、社会主義体制の東ドイツ(ドイツ民主共和国)がそれぞれ成立します。東ドイツ領の奥深くに位置していた首都ベルリンも同様に東西へ分割され、東ベルリンは東ドイツの首都、西ベルリンは「東側諸国の中の孤島」として西ドイツに属することになりました。

東西両国における生活水準や自由度の格差は、年を追うごとに広がっていきました。マーシャル・プランの支援を受けて「奇跡の経済復興」を遂げた西側に対し、東側は計画経済の行き詰まりと秘密警察(シュタージ)による徹底した言論統制が敷かれていたのです。その結果、医師や技術者をはじめとする多くの若年層や知識層が、境界線が比較的緩やかだった西ベルリン経由で西側へ脱出。その数は1949年から1961年までに約270万人(東ドイツ総人口の約6分の1)に達しました。

国家崩壊の危機感を募らせた東ドイツ指導部は1961年8月13日深夜、突如として東西ベルリンの境界を鉄条網で封鎖。後にコンクリート壁へと強化され、監視塔や張り巡らされたトラップを備えた「ベルリンの壁」が完成しました。市民の自由な往来は完全に断ち切られ、家族や友人が引き裂かれる悲劇が始まったのです。

森 瞳
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森 瞳

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