水害に関するネット上の言説には、命を危険に晒しかねない根強い誤解がいくつか存在します。その代表例が「水が堤防を越えなければ家は流されない」という思い込みです。
土木工学および河川工学の視点から言えば、計画高水位と堤防決壊リスクは常に隣り合わせです。堤防は土を盛り固めて作られているため、河川の水位が長時間にわたって高止まりすると、水の浸透によって堤防内部の土砂が流出する「パイピング現象」や、法面の崩落が発生します。つまり、水が堤防の頂上に達していなくても、ある瞬間、突然数十メートルにわたって堤防が崩壊する事態が起こり得ます。この構造的な脆弱性を理解していないと、水位計のメーターだけを見て安全だと誤認することになります。
また、浸水想定区域ハザードマップに関する盲点も見逃せません。「自分の家はハザードマップの着色エリアから数百メートル外れているから安全」と高をくくっていた住宅が、中小河川の内水氾濫によって床上浸水に見舞われるケースが相次いでいます。下水道や側溝の排水能力(通常は1時間あたり50〜60ミリ程度)を超える集中豪雨が降れば、本流の堤防が決壊しなくても街中が水没します。面的な危険度を色別でリアルタイム表示する気象庁キキクル洪水警報を併用し、局所的な危険度の上昇を見逃さない姿勢が極めて重要です。
さらに人間の心理として、危険が迫っている事実を過小評価する「正常性バイアス」や、「周囲の隣人が誰も避難していないから平気だろう」と判断する「多数派同調バイアス」が強固に働きます。自著や手記で水害体験を綴った被災者の多くが、「近所の人が誰も動いていなかったことが、避難をためらわせた最大の要因だった」と悔恨の念を吐露しています。他人の動向ではなく、客観的な数値データだけを判断基準にする客観性が求められます。