当時、ネット上や一部週刊誌では「スキャンダルによる事実上の左遷」「キー局を追われた都落ち」といった短絡的な見方が散見されました。しかし、実情を精査すると全く異なる構造が浮かび上がります。
当時のテレビ界は、ネット配信の台頭と広告費の削減により、制作予算の圧縮とコンプライアンス強化の二重苦に喘いでいました。局アナという立場上、自らが取材したいテーマを自由に深掘りできず、決められた論調やスタジオ進行をこなすだけのルーティンワークに陥りがちだった現場の閉塞感は、多くの看板アナが吐露している課題です。
一方のトヨタ自動車は、既存のマスメディアを介さず自社の理念や開発思想を直接生活者に伝える「オウンドメディア・ジャーナリズム」の確立に巨額の投資を行っていました。取材力、映像構成力、インタビュー技術のすべてを兼ね備えた富川アナの獲得は、企業側にとっても極めて高度なスカウト戦略であり、富川氏自身にとっても「真の現場取材に回帰する」ための能動的なキャリアチェンジであったと言えます。