「いろは坂」と聞くと栃木県日光市の観光道路を連想する人が大半ですが、多摩市のいろは坂通りにも独自の命名の経緯があります。
多摩市の記録や地域開発史によると、この坂道が整備されたのは昭和30年代後半(1960年代初頭)、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)による「桜ヶ丘住宅地」の大規模開発に遡ります。多摩丘陵の急斜面を切り開いて良好な住宅地を造成する際、直登できない傾斜を克服するために採用されたのが、日光のいろは坂に類似したヘアピンカーブが連続するつづら折り設計でした。
その独特な形状から、開発当初より住民や関係者の間で自然発生的に「いろは坂」の通称で呼ばれ始め、後に多摩市の公式な道路愛称として「いろは坂通り」が正式に制定されました。単なる模倣ではなく、地形の制約を克服して職住近接の理想郷を築こうとした昭和の郊外都市計画の知恵が刻まれているのが歴史の真相です。