風吹ジュンの原点を語る上で避けて通れないのが、壮絶を極めた生い立ちです。幼少期に両親が離婚し、母親に引き取られたものの、小学5年生の頃に母親が再婚相手と家を出て行き、育児放棄(ネグレクト)状態に陥りました。中学生時代には、わずかな仕送りすら途絶え、兄と2人きりで京都のアパートで暮らす極貧生活を余儀なくされます。
当時の手記や過去のロングインタビューにおいて、風吹は「食べるものがなく、近所の方にキャベツを分けてもらったり、内職をしてパンの耳をかじって飢えをしのいだ」と述懐しています。中学卒業後は高校に進学するも、生活費と学費を稼ぐための過酷な労働により中退。単身で東京へ移り住み、銀座の高級クラブなどで働きながら自活の道を切り拓きました。
転機が訪れたのは1973年、21歳のときです。スカウトをきっかけに「初代ユニチカマスコットガール」に抜擢されると、小柄ながら抜群のプロポーションと愛らしい顔立ちで瞬く間にトップアイドル・グラビアクイーンへと駆け上がりました。
しかし、絶頂期の1974年には芸能史に残る大事件に巻き込まれます。当時の所属事務所との移籍トラブルを発端とする「風吹ジュン拉致・監禁事件」です。暴力団関係者が関与したとされるこの騒動で、記者会見場から連れ去られるというショッキングな事態に見舞われながらも、風吹は決して屈することなく自らの意志を主張し続けました。若い頃から培われた強靭な精神力は、まさにこの過酷な環境の中で鍛え上げられたものといえます。