バージニア・ロバーツ・ジュフリーは1983年8月9日、米カリフォルニア州サクラメントで生まれました。決して裕福とは言えない家庭環境で育った彼女の運命が暗転したのは、フロリダ州の高級リゾート地パームビーチにある会員制クラブ「マー・ア・ラゴ」でロッカー室係のアルバイトをしていた16歳(2000年)の夏のことでした。
当時、社交界の花形として君臨していたイギリスのソーシャライト、ギレーヌ・マクスウェルが彼女に近づきます。「優秀なマッサージセラピストを探している億万長者がいる。トレーニングを受ければ将来の道が開ける」という甘い言葉でした。そのパトロンこそが、ヘッジファンドマネージャーを自称し政財界に広範な人脈を持っていたジェフリー・エプスタインでした。
経済的自立を夢見ていた無防備な少女は、エプスタインの豪邸へ足を踏み入れた瞬間から、巧妙に張り巡らされた性的人身売買のネットワークへと引きずり込まれます。エプスタインとマクスウェルは、彼女に高額な小遣いや衣服を与えて心理的に依存させながら、徐々に性的要求をエスカレートさせていきました。さらに恐るべきは、彼女をエプスタイン自身の欲望の対象にとどめず、ニューヨーク、ニューメキシコ州の牧場、カリブ海に浮かぶ私有島(リトル・セント・ジェームズ島)、そしてロンドンやパリへと連れ回し、自らの人脈を固めるための「性的な接待ツール」として世界中の権力者たちにあてがった点です。
彼女が後に立ち上がり、過酷なバッシングを覚悟で「告発に踏み切った理由」について、2019年の英BBCによる特別インタビュー番組『パノラマ』で次のように語っています。
「彼らは私から子供時代を奪いました。でも、私の魂まで奪うことはできない。私が沈黙を守り続ければ、同じように富と権力によって声を奪われ、使い捨てられる少女たちが後を絶たない。特権階級の男たちが、どれほど莫大な金を持っていようと法の上に立つことは許されないと証明したかったのです」
彼女は後にオーストラリアへ移住し、結婚して3人の子供の母となってからも、性暴力サバイバー支援団体「Victims Refuse Silence」を立ち上げ、自らの名を冠した活動を続けました。