久子さまの卓越した語学力と国際感覚は、幼少期からの海外生活と徹底した学問的修練によって培われました。聖心女子学院で学ばれた後、父・滋治郎氏の英国赴任に伴って渡英。イギリスの名門ケンブリッジ大学ガートン・カレッジへ進学し、中国学、人類学、考古学を専攻されました。単なる日常会話にとどまらない、国際会議の場で論理的に渡り合える卓越した英語力と多角的な文化理解は、この学生時代に確立されたものです。
帰国後、久子さまは翻訳会社での勤務などを経て、国際的な学術会議のコーディネートや通訳業務を担当されていました。そして運命の出会いが訪れます。1984年4月、東京で開催された「第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議」において、オリエント学者として知られた三笠宮崇仁親王の助手を務めていた久子さまは、三笠宮家の三男である憲仁親王(高円宮)と出会われたのです。
当時、国際交流基金に勤務され、皇族の枠にとらわれない闊達な人柄で多くの人々に慕われていた憲仁親王は、久子さまの深い知性、明るく快活なユーモア、そして国際的な対話能力に強く惹かれました。出会いからわずか数か月後の1984年5月、憲仁親王からの情熱的なプロポーズを受け、同年12月6日に結婚の儀が執り行われました。ここに新たな宮家として「高円宮家」が創設されたのです。
しかし、幸福に満ちたご家庭を最大の悲劇が襲います。2002年11月21日、カナダ大使館でのスカッシュ練習中、憲仁親王が心室細動により突如として倒れられ、47歳の若さで薨去されたのです。一家の大黒柱をあまりにも突然失うという深い悲痛のなか、久子さまは気丈にも宮家の当主代行・当主として立ち上がられました。
「宮さまが情熱を注いでこられたお仕事を、できる限り引き継いでまいりたい」——当時の記者会見で語られた決意の通り、久子さまは日本サッカー協会名誉総裁やバードライフ・インターナショナル名誉総裁など、殿下が務められていた数多くの要職を継承。単なる名誉職にとどまらず、現場に足を運び、国際的なスピーチを英語で堂々とこなす姿は、国内外から惜しみない称賛を集めることとなりました。