「たっすいがはいかん」という言葉がこれほどまでに高知で神聖視され、愛され続ける理由は、高知県民の独自の精神風土を抜きにしては語れません。
高知の男性を表す言葉に「いごっそう(快男児、頑固で筋の通った一本気な男)」、女性を表す言葉に「はちきん(男勝りで快活、行動力にあふれる女性)」があります。黒潮洗う太平洋に面し、背後を険しい四国山地で遮られた高知の風土は、中央の権力に阿(おもね)ることなく、自らの信念を貫く自由民権の気風を育んできました。
彼らが人間関係において最も嫌悪するのが、「腹の底が見えないこと」「外面ばかり繕って中身がないこと」、すなわち「たっすい態度」です。
それを如実に反映しているのが、高知が誇る伝統の宴席文化「おきゃく」です。土佐の宴会では、大皿に盛られた「皿鉢(さわち)料理」を囲み、身分の上下なく車座になります。そこで行われるのが、自らの盃を相手に差し出して酒を注ぎ、相手が飲み干したら盃を返して再び注ぐ「返杯(へんぱい)」の儀礼です。
この返杯の場において、杯を濁したり、曖昧な言い訳をして輪を乱したり、本音を隠して薄っぺらな世辞を弄することは「たっすい奴」として最も軽蔑されます。酒を酌み交わすことで互いの仮面を剥ぎ取り、魂と魂を直接ぶつけ合うことこそが高知の流儀なのです。
したがって、「たっすいがはいかん」という言葉は、単なるビールの味の好みを表明しているにとどまりません。「人間、生きている以上は腹を割って本気でぶつかってこい」「小手先の誤魔化しなど通用しない」という、共同体の実存的な道徳律として機能しているのです。