「模造」という言葉には、どこか偽物やコピー品といったネガティブな響きが漂います。しかし、模造紙の歴史と経緯を掘り起こすと、そこには日本の伝統技術が世界を驚かせ、再び日本へと還流してきたという痛快なドラマが存在します。模造紙は何を模造したのか——その答えは、越前や山中などで作られていた最高級和紙「鳥の子紙(とりのこし)」です。
物語の起点は1878年(明治11年)のパリ万国博覧会に遡ります。大蔵省印刷局の史料によると、日本政府が出品した三椏(みつまた)原料の紙幣用紙「局紙(きょくし)」は、滑らかな肌触りと驚異的な耐久性から欧米諸国の製紙関係者を熱狂させました。その評判の高さから、ヨーロッパの製紙メーカーは安価な木材パルプを用いて局紙および鳥の子紙の質感・光沢を再現しようと試行錯誤を重ね、やがて「シミリ・ジャポン(Simili Japon:模造日本紙)」と呼ばれる洋紙を開発したのです。
そして1890年(明治23年)、日本の製紙会社(現在の王子製紙)がこのシミリ・ジャポンに注目しました。ヨーロッパで工業化された模造技術を逆輸入する形で、三椏を使わずに化学パルプと薬品処理によって「本物の鳥の子紙そっくりの艶を持つ滑らかな洋紙」を機械抄きで量産することに成功しました。このとき発売された製品名が「模造鳥の子紙」であり、これが省略されて現代の「模造紙」という呼び名として定着しました。つまり、模造紙とは「日本の最高級和紙を真似たヨーロッパの洋紙を、日本がさらに機械生産で模造した」という、極めて高度な産業技術の結晶だったのです。