ドラマでは天下の副将軍のお供として諸国を旅し、悪を成敗する武芸百般の士として描かれる助さん・格さんですが、歴史的事実(一次資料)を紐解くと、その実像はまったく異なります。
まず大前提として、徳川光圀公自身が生涯で関東地方を出たのは鎌倉や日光程度であり、全国を漫遊した事実はありません。では、なぜ助さん・格さんのモデルが存在するのでしょうか。
光圀が私財を投じて編纂を進めた一大歴史書『大日本史』の執筆にあたり、全国の寺社や旧家に眠る古文書を収集・調査・校正するために派遣された学者たちこそが、彼らの正体です。
- 助さんのモデル:佐々 宗淳(さっさ むねきよ / 通称:介三郎)
京都出身の儒学者。若い頃は僧侶(臨済宗)でありながら、型破りで酒と詩を愛する自由人でした。知力と行動力を買われて水戸藩に招聘され、『大日本史』編纂の総責任者(彰考館総裁)に就任。全国各地へ古文書調査の旅に出向いたエピソードが、後の「諸国漫遊の助さん」へと昇華しました。 - 格さんのモデル:安積 澹泊(あさか たんぱく / 通称:覚兵衛)
現在の福島県郡山市出身の儒学者。10代の頃から才覚を現し、佐々宗淳の推挙によって水戸藩へ出仕しました。宗淳の死後、彰考館総裁を引き継ぎ、30年以上にわたり編纂事業を主導した学者界の重鎮です。温厚篤実で極めて真面目な人柄が、そのまま「堅物の格さん」のキャラクター造形に反映されています。
つまり、史実における助さん・格さんは、刀を振り回すボディーガードではなく、万巻の書物を読み解く超エリート学者コンビだったのです。