日常会話において「お刺身」と「お造り」は同義語として扱われがちですが、その出自と定着のプロセスには決定的な地域差と階級意識が存在します。お造りと刺身の違いを紐解く最大の鍵は、江戸を中心とした武家文化と、京都・大阪を中心とする上方文化の対比です。
室町時代後期の宮中女房詞(女性たちが使用した優雅な隠語)の記録によると、魚を切り分けた料理を「作り身」と呼んでいた痕跡が確認できます。これが上方へ広がり、包丁人の高度な技術で魚の身を切り揃え、季節の花やあしらいを添えて芸術的に「造り上げる」料理として、お造りの語源と由来が確立されていきました。
一方、関東では「刺身」という呼び名が主流となりました。刺身の語源と真相は、室町時代の文献『鈴鹿家記』(応永6年・1399年)に「指身」として登場したのが初出とされています。当時、魚の皮を剥いで切り身にしてしまうと何の魚か判別がつかなくなるため、切り身にその魚の尾ビレやエラを直接「刺して」供したことから名付けられました。これが刺身との呼び分けの理由の原点です。
江戸時代に入ると、武家社会のタブーと経緯がこの呼び名に強い影響を及ぼします。幕府のお膝元である江戸の武士階級にとって、「身を切る」「人を刺す」という言葉は切腹や辻斬りを連想させる極めて不吉な忌み言葉でした。そのため、武家屋敷の膳部では「刺身」と呼ぶことを避け、身を叩いて伸ばす意味合いを含めた「打ち身」と呼び替えるなどの徹底した忌避が行われました。
これに対し、商業都市として栄えた大坂や公家文化が息づく京都では、無骨な武家の言葉遣いを敬遠し、洗練された「お造り(お作り)」という美称を好んで用いました。これが関西と関東の食文化の違いを生み出し、現代においても「関西はハレの日の席やお品書きにお造りと記し、関東は家庭料理から高級店まで刺身と呼ぶ傾向が根強い」という地域特性として継承されています。