岡本綾子の類いまれなるアスリート人生は、ゴルフから始まったわけではありません。広島県立愛名高校(現・大崎海星高校)時代から頭角を現し、大和紡績(現・ダイワボウホールディングス)に進むと、ソフトボールのサウスポーエース兼キャプテンとして国体優勝を果たしています。このソフトボール時代に培われた強靭な下半身と抜群のリストワークが、後に「世界一美しい」と称賛された流れるようなゴルフスイングの礎となりました。
23歳でゴルフへ転向し、わずか1年足らずでプロテストに合格。1981年には日本女子ツアーで賞金女王に輝き、その直後に米LPGAツアーへ本格参戦を果たします。1987年にはアメリカツアーで年間4勝を挙げ、日本人・アジア人として史上初となる米LPGAツアー賞金女王を獲得。日米通算62勝を誇り、2005年にはその偉業を讃えられて世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。
若い頃の熱愛報道や歴代彼氏の噂について検証すると、米ツアー参戦時に現地で行動を共にしていた外国人キャディやトレーナーとの親密な関係が週刊誌等で憶測を呼んだことはありました。しかし、いずれもプロフェッショナルとしての信頼関係の域を出るものではなく、決定的な交際宣言やスキャンダルに発展した事例は皆無です。「スイングを崩してまで男に現を抜かす暇はない」と語ったとされる逸話の通り、彼女の関心は常にゴルフの高みにありました。