中部地方の県庁所在地一覧|愛知・石川・山梨が不一致の歴史と暗記術

中部地方の県庁所在地一覧|愛知・石川・山梨が不一致の歴史と暗記術

中部地方の県庁所在地一覧|愛知・石川・山梨が不一致の歴史と暗記術にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

多くの受験生や大人が疑問を抱く核心が、「なぜ他の6県は一致しているのに、この3県だけ県名と市名がバラバラなのか」という点です。この謎を解く鍵は、明治4年(1871年)に実施された廃藩置県と歴史的経緯に隠されています。

1. 愛知県と名古屋市:旧尾張藩の象徴を脱却した「郡名」の採用

江戸時代、この地は御三家筆頭である尾張徳川家が君臨する「名古屋藩」でした。廃藩置県直後は「名古屋県」が誕生しましたが、わずか翌年の1872年、政府は県名を「愛知県」へと改称します。その理由は、県庁が置かれた場所が「愛知郡名古屋城内」であったためです。

当時の明治新政府は、旧藩時代の領主や城下町が持っていた強烈な封建的イメージを国民の意識から切り離す方針を採っていました。名古屋という大城下町の名をそのまま県名に据えるのではなく、所在地の郡名である「愛知郡」を採用したのです。その後、額田県(旧三河国)を編入合併した際も、旧国同士の主導権争いを中和させる目的から「愛知県」の名称が継続されました。

2. 石川県と金沢市:幾重の合併と庁舎移転がもたらした「石川郡」の遺産

北陸の覇者であった前田家の「金沢藩」は、廃藩置県によって一度「金沢県」となりました。しかし、明治政府による大規模な府県統合の中で、周辺の小県を併合する過程で県庁を一時的に手取川近くの「石川郡美川町(現在の白山市)」へ移転させます。この際に名称が「石川県」へと改変されました。

その後、わずか1年足らずで県庁は利便性の高い金沢城内へ復帰したものの、すでに公文書や新制度の整備が進んでいたため、県名だけは「石川」のまま残存したのです。さらに後年、越中国(富山県)や能登国(旧七尾県)を統合・再分離する激動の再編期を経ても、「石川県」の名は改称されずに今日まで受け継がれています。

3. 山梨県と甲府市:甲府城下を包摂した「山梨郡」の歴史

甲斐国(現在の山梨県)は、武田信玄の時代から甲府を中心都市として発展してきました。明治維新直後は「甲府県」が置かれましたが、1872年、県庁所在地の郡名であった「山梨郡」にちなんで「山梨県」へと改称されます。

甲斐国内には八代郡や巨摩郡など有力な地域が分立しており、城下町である甲府の名を県全体に冠するよりも、古代からの由緒ある広域地名「山梨」を用いることが地域融合の上で都合が良かったという当時の行政的配慮が働いています。

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。