松山千春『旅立ち』誕生秘話と恩師の遺志|半世紀響く名曲の真実

松山千春『旅立ち』誕生秘話と恩師の遺志|半世紀響く名曲の真実

松山千春『旅立ち』誕生秘話と恩師の遺志|半世紀響く名曲の真実の特集記事をお届けします。役立つ情報が詰まっています。

名曲『旅立ち』を語る上で絶対に外せない人物が、札幌テレビ放送(STVラジオ)の伝説的ディレクター・竹田健二氏です。1975年、松山千春は「全国フォーク音楽祭」の北海道地区大会に出場するも落選。しかし、審査員を務めていた竹田氏だけは、その唯一無二のハイトーンボイスと天性のメロディセンスを即座に見抜いていました。

竹田氏は自らが担当するラジオ番組『サンデージャンボスペシャル』内に、松山千春のために15分間の冠コーナーを用意。「お前の歌を必ず世に出してやる」と励まし続け、二人三脚でプロデビューへの道を切り拓きました。このとき、番組のテーマソングやコーナー内で披露され、満を持してレコード化されたのが『旅立ち』でした。

ところが運命は残酷でした。デビューからわずか7か月後の1977年8月27日、竹田氏は急性心不全のため36歳の若さで急逝します。最大の理解者であり父親代わりでもあった恩師の突然の死に、若き千春は激しく打ちのめされ、一時は引退すら考えたといいます。しかし、「千春、歌え」という恩師の遺志を胸に刻み込み、涙を拭ってステージに立ち続ける道を選びました。『旅立ち』は、恩師への永遠の誓いが込められた鎮魂と再生の歌でもあるのです。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。