過激派の歴史を紐解く上で欠かせないのが、1960年代から1970年代にかけて日本中を揺るがした学生運動と「新左翼」の台頭です。
当時、既成の日本共産党が武力闘争路線を放棄したことに対し、「生ぬるい」と反発した過激な学生や若者たちが新たな潮流(新左翼)を結成しました。日米安全保障条約の改定阻止を目指した安保闘争や、大学のあり方を問う全共闘(全学共闘会議)運動は、やがてヘルメットにゲバルト棒(角材)、火炎瓶を手にした激しい街頭武力闘争へと激化していきました。
運動の退潮とともに集団は細分化・先鋭化し、日本国内外で凶悪な事件を引き起こします。海外へ拠点を移し、1972年のテルアビブ空港乱射事件やクアラルンプール事件などの国際テロを主導した「日本赤軍」、そして山岳アジトで凄惨な同志リンチ殺人事件(山岳ベース事件)を起こし、あさま山荘事件で警察と銃撃戦を繰り広げた「連合赤軍」の暴走は、日本社会に深い爪痕を残しました。