神保町界隈には、カレーを提供する飲食店が400店舗以上密集しているとされます。なぜこの街は日本屈指のカレー激戦区となったのでしょうか。その背景には、明治時代以降に形成された学生街の歴史と、活字を愛する人々の生活習慣が深く関わっています。
明治期、神保町周辺には明治法律学校(現・明治大学)、専修学校(現・専修大学)、英吉利法律学校(現・中央大学)、日本法律学校(現・日本大学)など名門私塾が次々と設立されました。地方から上京した書生や学生が集まるにつれ、教科書や学術書を扱う古書店が林立し、同時に「安くて栄養価が高く、腹持ちの良い食事」を提供する食堂が求められたのです。
ここで重要な役割を果たしたのが、本と食事の親和性でした。当時の学生や研究者、出版関係者は、購入したばかりの本や論文から目を離すことを惜しみました。フォークとナイフを両手で使う洋食とは異なり、スプーン1本で完結するカレーライスは「左手で本をめくりながら、右手で素早く口に運べる」という決定的な利便性を備えていたのです。
さらに1970年代以降、フランス仕込みのソース技術を応用した「欧風カレー ボンディ」の誕生を皮切りに、スマトラカレーの「共栄堂」やインドカレーの「エチオピア」など、世界各国の調理技法を取り入れた名店が次々と台頭しました。単なる学生街の空腹満たしから、専門性の高い食カルチャーへと昇華したことが、神保町カレーなぜ多い理由の真相といえます。