嵐と藤島ジュリー景子氏の結びつきは、1999年のグループ結成直後まで遡ります。当時、ジャニー喜多川氏がプロデュースを手掛ける一方で、現場のマネジメントやプロモーションを実質的に統括したのがジュリー氏でした。2001年には嵐の専用レーベルとして「J Storm」が設立され、ジュリー氏自らが代表取締役に就任。レコード会社主導の楽曲制作から映像プロデュース、バラエティ番組への進出に至るまで、手塩にかけてグループを育成しました。
芸能関係者の証言によると、当時のジュリー氏はコンサートの衣装チェックからセットリストの細部に至るまで嵐の現場に常に帯同し、メンバーと寝食を共にするかのような距離感でマネジメントを行っていました。深夜のプロモーション戦略会議でメンバー5人とジュリー氏が車座になり、深夜まで議論を交わしていた姿は、当時のテレビ局関係者の間でも広く知られています。
こうした濃密な二人三脚の関係は、やがて大手メディアで「ジュリー派 嵐」というラベルとともに報じられることになります。当時、副社長だったメリー喜多川氏の後押しを受け、SMAPを手掛けたマネージャー率いる陣営との間で「ジャニーズ 派閥争い 真相」が週刊誌を賑わせました。しかし現場の実態を取材すると、派閥という権力構造以上に、無名時代の嵐を国民的スターへと押し上げた実務的プロデューサーとしての強い自負と、メンバー側の深い恩義が根底にあったことが分かります。