ドラマ『裸の大将放浪記』において最も象徴的なシーンといえば、空腹で行き倒れそうになった主人公が「ぼ、ぼくはお腹が減ったんだな」と頼み込み、心優しい村人から握り飯を差し出される場面です。しかし、山下清本人が遺した自著『放浪日記』や八幡学園の記録を精査すると、世間が抱くイメージとは大きく異なる冷徹な現実が浮き彫りになります。
山下清が放浪の旅に出た最大の動機は、風流な絵の題材探しではなく、1940年(昭和15年)に迫っていた「徴兵検査(兵隊検査)からの逃亡」でした。過酷な軍隊生活を恐れた清は、入所していた知的障害児施設「八幡学園」を抜け出し、以後十数年にわたり突発的な放浪を繰り返すことになります。
また、食事についてもドラマのように「おにぎり」ばかりを求めていたわけではありません。道中の農家や民家に立ち寄っては「残飯をください」と直接的に物乞いをしており、ときには持参していたわずかな小銭でパンやうどんを購入していました。彼にとって放浪は「人情に触れる美しい旅」である以前に、日々の飢えと隣り合わせの乾いたサバイバルだったのです。
とりわけ世間を驚かせるのは「旅先で一切絵を描かなかった」という事実です。清は放浪中、画用紙も糊もハサミも持ち歩いていませんでした。彼は訪れた場所の風景、人々の服装、光の角度、建物の細部に至るまでを網膜のように記憶し、数カ月後あるいは数年後に学園へ戻った際、何もない机の上で驚異的な精度をもって貼り絵作品を復元させました。この「直観像記憶」こそが、山下清が単なる放浪者ではなく孤高の天才芸術家と呼ばれる所以です。