1993年、レース狂としても知られた後藤久美子は、F1日本GPが開催される鈴鹿サーキットや関連プロモーション会場を頻繁に訪れていた。アレジは彼女を一目見た瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたという。当時、すでにF1界のトップスターの一人として名を馳せていたアレジだが、プライベートでは試練の時期でもあった。
猛烈な猛アタックが始まった。フランス語と日本語という言語の壁は、熱烈な電話や手紙、そして多忙なスケジュールの合間を縫った極密のデートによって一気に縮まっていく。周囲の反対やスキャンダル合戦を余計な雑音と一蹴し、彼女は20代前半というキャリアの絶頂期に渡欧を決意した。彼女の潔い決断力には、当時のメディアも脱帽するしかなかった。