完顔阿骨打とは?金建国と遼打倒の真相・軍事制度や死因まで徹底解説

完顔阿骨打とは?金建国と遼打倒の真相・軍事制度や死因まで徹底解説

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阿骨打の人間性や反骨精神を象徴する有名なエピソードとして、宋代や遼・金代の史料に記された「頭魚宴(とうぎょえん)事件」があります。

1112年、遼の最後の皇帝である天祚帝が春の漁猟(春水)に際し、鴨子河(現在の松花江水系)畔で属国の女真族首長たちを招集して酒宴を開きました。天祚帝は酒が回ると、服従の証として部族長たちに一人ずつ自分の前で舞を舞うよう命じました。屈辱に耐えかねながらも他の首長たちが次々と踊る中、ただ一人、阿骨打だけは微動だにせず、天祚帝を真っ直ぐに見据えて舞を拒絶しました。

『遼史』によると、天祚帝はこの阿骨打の不遜な態度に激怒し、その場で処刑しようと側近に相談したとされます。しかし側近が「粗野な蛮族が無知ゆえに作法を知らないだけです」となだめたため、その場は不問に付されました。SNSや歴史コミュニティの議論でも「この瞬間、阿骨打の腹は完全に決まっていた」「個人の尊厳を捨てて隷属するくらいなら死を選ぶという覚悟が、のちの決起の原点」と高く評価されています。阿骨打は自部族に戻るや否や、遼への朝貢を停止し、戦争の準備を本格化させました。

前田 葵
著者

前田 葵

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。