当時の裁判記録や関係者の証言によると、岡田更生館における虐待の手口は常軌を逸していました。配給されていたはずの主食や副食の大部分は館長や幹部職員によって横領され、近隣の闇市へと横流しされていました。収容者に与えられた食事は、わずかな雑穀や野草、ときには傷んだ残飯を煮込んだだけの薄い汁物のみで、成人男性が一日に必要なカロリーの半分にも満たない飢餓状態が意図的に作り出されていたのです。
さらに恐ろしいのは、施設内で常態化していた暴力支配です。規律違反や脱走の企てが発覚した場合、幹部や「室長」と呼ばれる古参収容者によるリンチが行われました。竹刀や角材での乱打はもちろん、梁から逆さ吊りにされて冷水を浴びせられる拷問、厳冬期に衣服を剥ぎ取られて屋外へ放置される懲罰が横行していました。
極度の飢餓と不衛生な住環境、さらにシラミや疥癬(かいせん)、結核の蔓延が重なり、収容者の体力は限界に達していました。わずか1年数か月の間に確認された死亡者数は、公式記録だけでも100名を超え、実際には120名から160名以上にのぼると推計されています。死亡した入所者の遺体は、正式な弔いを受けることもなく、施設裏の山林や雑木林に掘られた粗末な穴へ乱雑に埋め捨てられていました。