時計の針を巻き戻すと、真輝さんの誕生には激しい議論が伴っていた。野田氏は不妊治療の末、アメリカでの第三者卵子提供による体外受精を決断。50歳での出産という選択は、当時のメディアで大きく取り上げられ、社会的な議論を巻き起こした。しかし、喜びも束の間、生まれたばかりの赤ちゃんを待っていたのは、心臓疾患や食道閉鎖症など重度の先天的障害という非情な通知だった。
NICU(新生児集中治療室)での長い格闘が始まった。チューブに繋がれ、何度も心肺停止のリスクに晒される愛息を前に、母として何ができるのか。医療・福祉の現場で突きつけられた現実は、制度の隙間にこぼれ落ちる当事者たちの叫びを、生々しく浮き彫りにした。