バンドのリーダーを務めていた武内享が後に音楽メディアやインタビューで振り返っている通り、解散へのカウントダウンは突然始まったわけではありませんでした。1990年代初頭には、リハーサルスタジオの空気はすでに張り詰め、メンバー間のコミュニケーションは業務連絡を除いて著しく減少していたと伝えられています。
武内享が整理したチェッカーズ解散の経緯によると、解散を最初に明確に切り出したのは藤井フミヤでした。フミヤ自身、バンドという枠組みの中で表現できる音楽の限界を感じており、ソロアーティストとして自身の世界観を追求したいという意欲が抑えきれなくなっていました。さらに、メンバーそれぞれが30代を目前にし、個人としての生き方を模索する時期に差し掛かっていたことも重なります。
当時、バンド内では「フミヤの脱退=チェッカーズの終了」を意味していました。一部からはメインボーカルを交代してバンドを存続させる案も議論の俎上に載ったとされますが、リーダーの武内をはじめとするメンバーたちは「7人でなければチェッカーズではない」という結党時の美学を重視しました。結果として、1992年秋に正式な解散発表が行われ、同年12月28日の日本武道館ファイナル公演、そして大晦日のNHK紅白歌合戦のステージをもって、バンドはその歴史に一旦幕を下ろしました。
表面的には「やりきった上での発展的解散」として美しく演出された幕引きでしたが、内情は決して円満なものではありませんでした。解散会見の場においても、メンバー間の視線が交差することは少なく、すでに修復しがたい感情のしこりが残されていたことは、当時現場を取材していた記者たちの間でも暗黙の了解となっていました。