最愛の妻を失った直後、高木氏は文字通りの「放心状態」に陥りました。自著や後年のインタビューでも「喜代子がいなくなって、これからどうやって生きていけばいいのか分からなくなった」「家のどこを見ても妻の面影があり、ただ呆然と座り込んでいる日もあった」と赤裸々に吐露しています。配偶者を亡くした高齢男性が陥りやすい深い抑うつ状態、いわゆるグリーフ(悲嘆)の暗闇です。
この危機的状況から彼を力強く引き戻したのが、一人娘である長女・かおるさんの存在でした。かおるさんは母親を亡くした自身の悲しみを抑え、生活の全般が高木氏一人では立ち行かなくなることを見越して、父のマネジメントと生活サポートを一手に引き受けます。時には「お父さん、いつまでも部屋に閉じこもっていないで!」と厳しく叱咤激励し、生活のリズムを取り戻させました。
そして、もうひとつの決定的な救いとなったのがウクレレでした。もともと学生時代からハワイアン音楽に傾倒し、卓越したギタリスト・ミュージシャンとしての腕前を持っていた高木氏ですが、ドリフターズでのコント活動が本格化して以降は、音楽活動を前面に出す機会が限られていました。そんな父に対し、かおるさんは「大好きな音楽をもう一度本気でやってみたら?」と背中を押したとされます。
哀悼の思いを弦に乗せるようにウクレレを手にした高木氏は、1990年代後半からソロアルバムのリリースやフェスへの出演など、本格的なハワイアン奏者としての道を切り拓きます。彼の爪弾くウクレレの音色は、単なるテクニックを超え、亡き妻への鎮魂と感謝、そして人生の哀愁が滲み出た唯一無二の響きとして、音楽関係者や若者層からも絶賛を浴びるようになりました。娘の献身と音楽への再起、この2つが高木ブーという表現者を再び立ち上がらせたのです。