天才軍師・竹中半兵衛とは何者か?稲葉山城奪取の真相と早逝の謎

天才軍師・竹中半兵衛とは何者か?稲葉山城奪取の真相と早逝の謎

天才軍師・竹中半兵衛とは何者か?稲葉山城奪取の真相と早逝の謎に関する疑問や疑問点をわかりやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。

竹中半兵衛の名を歴史に刻んだ最大の事件が、永禄7年(1564年)に起こした稲葉山城(後の岐阜城)の乗っ取りです。当時の主君であった美濃国の斎藤龍興は政務を顧みず、佞臣を重用して家臣団の信望を失っていました。城の防備を任されていた半兵衛は、度重なる諫言が聞き入れられない事態を憂慮し、前代未聞の行動に打って出ます。

半兵衛は人質として城内に預けていた実弟・竹中重矩の見舞いを口実に、武具を忍ばせた葛籠(つづら)を持ち込みました。従えた手勢はわずか16名(17名とも)。深夜、城内で突如として蜂起し、瞬く間に重臣を討ち取って城内を混乱に陥れました。龍興は慌てて城を脱出し、難攻不落を誇った稲葉山城は、たった一晩で半兵衛の手に落ちたのです。

この前代未聞のクーデターにいち早く目をつけたのが、美濃攻略を悲願としていた織田信長でした。信長は「城を明け渡せば美濃半国を与える」と破格の条件で寝返りを誘いますが、半兵衛はこれをきっぱりと拒絶。「あくまで主君の目を覚まさせるための戒めである」として、半年ほど城を占拠した後にあっさりと龍興へ返還し、自らは城を去って隠棲生活に入りました。私利私欲のために領地を奪う戦国乱世において、権力への執着を一切見せなかったこの行動が、後世にまで清廉な智将として語り継がれる契機となりました。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。