おかめそばの歴史を紐解くと、江戸時代後期の文化・文政期から天保年間(1800年代前半〜中盤)にかけての江戸の町へと行き着きます。考案したのは、現在の東京都台東区根岸に暖簾を掲げていた蕎麦屋「太田庵(おおたあん)」の店主です。当時の下谷根岸界隈は、上野の寛永寺に近く、文人墨客や風流人が多く隠棲する文化的な香りの高いエリアでした。
太田庵の主人は、単に美味しい蕎麦を提供するだけでなく、訪れた客をクスリと笑わせ、福を呼び込むような仕掛けを思案していました。そこで目をつけたのが、狂言面として親しまれ、古くから招福の象徴であった「お多福(おかめ)」の面です。丼という限られた円形のキャンバスの中に、各種の種物(具材)を配置してその愛らしい表情を再現するという、かつてない斬新な一杯を完成させました。
この試みは瞬く間に江戸っ子の心を掴みます。江戸の人々は、言葉遊びの「地口」や、ある物を別の物に見立てる「見立て絵」などの粋な文化を何より好みました。丼の中に広がるお多福の笑顔を愛でながら手繰る蕎麦は、縁起物としての価値も相まって大ヒットを記録し、太田庵の看板メニューから江戸市中の蕎麦屋へと爆発的に普及していったと記録されています。