春日大社といえば藤原氏の氏神として全国におよそ3,000社ある春日神社の総本社ですが、その根源を遡ると必ず行き着くのが河内国一之宮 枚岡神社です。社伝および『続日本紀』などの古代史料によると、神護景雲2年(768年)、称徳天皇の勅命により左大臣・藤原永手らが平城京の鎮護として御笠山(奈良・春日野)の麓に神殿を造営しました。その際、枚岡神社から主祭神である天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と比売御神(ヒメミコ)の二柱を分霊し、春日大社第三殿・第四殿として祀った経緯が存在します。
春日大社側から見れば、枚岡神社は「親神」にあたる存在です。この歴史的事実から、枚岡神社は古くより「元春日」と称されてきました。さらに枚岡神社の創祀そのものは、初代・神武天皇の東征時期にまで遡ります。社伝の記録では、神武天皇即位の3年前、勅命を受けた天種子命(アメノタネコノミコト)が生駒山上の霊峰「神津嶽(かみつだけ)」に天児屋根命を祀ったのが起源と伝わります。白鳳年間(7世紀後半)に現在の山麓へ社殿を遷座したことで、現在の形態が整いました。
境内の鎮座地名である「出雲井町」の由来も、古代史愛好家の間で注目されるポイントです。社伝によると、かつて出雲連(いずものむらじ)一族がこの地に居住し、神津嶽の神饌(神への供え物)を調えるための清冽な井戸を守護していたことから「出雲井」と称されるようになりました。現在も本殿西側に出雲井の旧跡碑が静かに佇んでおり、大和王権の成立期における生駒山麓の軍事・祭祀的重要性を物語る動かぬ証拠となっています。