東雲住宅の歩みを語るうえで避けて通れないのが、2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原発事故の被災者受け入れと、その後に生じた東雲住宅の被災者退去問題です。
2011年1月の竣工直後、本来であれば中央省庁のエリート官僚たちが順次入居を開始する予定でした。しかし、入居目前に東日本大震災が発生。菅直人内閣(当時)は完成したばかりの東雲住宅を、原発事故により故郷を追われた福島県民らの緊急避難場所として全棟開放することを英断します。最大時で数百世帯に上る避難者がこのタワーで生活を再建し始め、一時はコミュニティの再生や住民同士の連帯が美談としてメディアを賑わせました。
しかし、発災から年数が経過するにつれて状況は一変します。避難指示解除準備区域などの指定解除に伴い、自主避難者に対する住宅の無償提供打ち切りが段階的に決定。国や福島県は、民間賃貸住宅への移行支援や公営住宅への転居を促したものの、高齢化や健康不安、経済的困窮を理由に「東雲住宅からの退去は不可能」と訴える避難者グループとの間で激しい対立が生じました。
期限を過ぎても明渡しに応じない世帯に対し、福島県は2019年以降、住宅の明渡しと滞納家賃相当額の支払いを求めて東京地裁に相次いで提訴。法廷闘争へと発展しました。法廷では「国の二重基準」「被災者切り捨て」を糾弾する住民側と、「公平な公費負担の限界」「法的根拠に基づいた退去要請」を主張する行政側が真っ向から衝突。最終的には和解や判決によって退去が進められたものの、被災者支援のあり方と行政財産の管理という二つの正義が激突した爪痕は、今なお深い教訓として刻まれています。