関ヶ原の戦いで西軍を打ち破った徳川家康は、破竹の勢いで東へと進軍した。その行軍ルートこそが、関ヶ原から清洲城へと至る道筋だった。なぜ家康は、わざわざこのルートを選んだのか。そこには単なる最短距離の走破にとどまらない、周到な政治的演出が隠されていた。
清洲城はかつて織田信長が尾張を統一し、天下狙いの拠点とした象徴的な城である。家康はこの城に入城することで、自らが信長の正統な後継者であり、新たな時代の支配者であることを天下に強烈にアピールした。一方で、敗れ去った西軍の将たちの血涙もまた、この道に染み込んでいる。街道沿いの古い地蔵や道標には、歴史の表舞台から消し去られた人々の知られざるドラマが刻まれているのだ。