現在、京都府舞鶴市の「舞鶴引揚記念館」には、実際に舞鶴港へ引き揚げてきた引揚者たちの手記や携行品、端野いせに関する資料が大切に保管されています。現地を訪れると、歌謡曲が描いた「美しい母子の絆」という一面だけでは語り尽くせない、過酷なリアリズムが浮き彫りになります。
当時の舞鶴港には、約66万人もの引揚者と1万6千柱を超える遺骨が船で帰還しました。埠頭で待ち続けた母親たちの中には、寒さと飢えに耐えかねて倒れる者や、詐欺まがいの「息子を見かけた」という偽情報に大金を騙し取られる被害に遭う者も少なくありませんでした。SNSやネット上では「親子のすれ違いが切なすぎる」「国家の分断が生んだ悲劇」といった声が絶えず寄せられており、美談として消費するのではなく、冷戦構造と戦争責任がもたらした個人の悲劇として捉え直す視点が定着しています。