真輝さんの誕生に至る背景には、長年にわたる不妊治療と苦渋の決断がありました。野田聖子氏自身が著書『私は、産みたい』などで率直に明かしている通り、度重なる不妊治療の末、自身の卵子での妊娠を断念。米国に渡航して第三者からの卵子提供を受け、夫の精子との体外受精によって授かった命でした。当時、政治家としての立場と生殖医療の倫理を巡って激しい社会的議論が巻き起こったことは記憶に新しい事実です。
命懸けで授かった我が子を待っていたのは、生後2年以上に及ぶ連続入院生活でした。食道の修復や心臓の手術を幾度も重ね、食道を確保するために腸の一部を移植する手術など、通算10回以上におよぶ全身麻酔下の大手術が敢行されました。
呼吸路を確保するための気管切開、そして十分な栄養を直接腹部から送り込むための胃ろう造設が不可欠となり、真輝さんは常時吸引や注入が必要な「医療的ケア児」としての生活を余儀なくされます。当時の手記で野田氏は「生きているだけで奇跡、抱きしめるたびに管が外れないか怯えていた」と赤裸々に吐露しており、政治家としての公務と、24時間息が抜けない濃厚な在宅介護の狭間で葛藤し続けた生々しい日々が記録されています。