事件が起きたのは2001年(平成13年)3月3日の土曜日、午後9時過ぎのことでした。現場となったのは北海道旭川市緑が丘3条4丁目の住宅街。当時、旭川市立緑が丘中学校の1年生だった佐藤智広くんは、自宅で姉とテレビ番組のチャンネル争いになり、些細な口論へと発展しました。
騒ぎを聞きつけた母親が智広くんを叱責したところ、激しい感情の昂ぶりから智広くんは自室へ駆け込み、窓から外へ飛び出しました。母親はすぐに後を追い、周囲を探しましたが見失ってしまいます。これが、家族が目にした智広くんの最後の姿となりました。
この失踪劇が極めて特異であり、警察の公開捜査へと発展した最大の要因は、当時の過酷な環境と少年の装備のアンバランスさにあります。3月初旬の旭川市は、夜間になると気温が氷点下5度から氷点下10度近くまで冷え込む厳寒期です。路上にはまだ分厚い圧雪や凍結が残り、長時間の屋外滞在は凍傷や低体温症による生命の危機に直結する環境でした。
それにもかかわらず、智広くんが身につけていたのは室内着に近いズボンに薄手のジャンパー(ウインドブレーカー)、履き物はスニーカーという極めて頼りない装備でした。財布や携帯電話(当時は中学生の普及率が極めて低かった時代)、身分証明書などは一切持っておらず、所持金はあってもポケットに入っていた小銭程度だったと報じられています。徒歩による自力移動や商業施設での避難には、物理的な限界が存在していました。