2012年12月5日未明、日本中を駆け巡った十八代目中村勘三郎の訃報は、歌舞伎ファンのみならず列島全体に深い喪失感をもたらしました。直接の死因は急性呼吸窮迫症候群(ARDS)。初期の食道がん発見からわずか半年、過酷を極めた闘病生活の果ての旅立ちでした。
事の発端は同年6月、定期健診で極めて初期の食道がんが見つかったことでした。当時の公式発表資料によると、勘三郎本人は早期発見であったことから「しっかり治して、また暴れまくります」と復帰に強い意欲を燃やしていました。7月には都内の専門病院で約12時間に及ぶ大手術を受け、腫瘍の摘出自体は無事に成功します。
しかし、手術の侵襲に加えて直後に発症した誤嚥性肺炎から、肺の機能が急激に低下。集中治療室(ICU)での人工呼吸器管理、さらには人工心肺装置(ECMO)を装着しての懸命な治療が続けられました。関係者の証言によると、意識が混濁するなかでも勘三郎の手は舞台の所作をなぞるように動き、枕元で妻の好江氏や勘九郎、七之助が「お父さん、中村屋!」と声をかけ続けると、心拍数が反応を示したといいます。
「もう一度、平成中村座の舞台に立ちたい」という本人の祈りと医療陣の全力を尽くした処置もむなしく、発症から131日目に帰らぬ人となりました。享年57。役者として最も脂が乗り、歌舞伎の未来を切り拓く中心にいた男のあまりに早すぎる退場でした。