現在でこそスピッツの代表曲一覧で必ず上位に挙げられる「楓」ですが、その誕生の背景にはバンドにとっての大きな転換期が存在していました。本作は1998年3月にリリースされた8thアルバム『フェイクファー』に収録された後、同年7月に「スピカ」との両A面シングルとしてリカットされた経緯を持ちます。
当時のスピッツは、メガヒットを連発した『ロビンソン』『空も飛べるはず』の狂騒を経て、プロデューサー・笹路正徳氏の手を離れ、セルフプロデュースへの模索を始めた過渡期にありました。この制作秘話において特筆すべきは、華美な装飾を削ぎ落とし、バンド本来の素朴なアンサンブルと生々しい感情の揺らぎをダイレクトに記録しようとした点です。
レコーディング現場では、ドラムの残響音やアコースティックギターのストローク一つひとつにまで徹底的なこだわりが注がれました。草野のハイトーンボイスが持つ「少年のごとき無垢さ」と「老成した諦念」が同居する唯一無二のボーカルトラックが完成した瞬間、スタジオ内のスタッフ一同が息を呑んだと当時の関係者は述懐しています。アルバムの一曲として埋もれることを許さなかった圧倒的な求心力が、シングルカットという決断を後押ししたのです。