竹中平蔵氏の経歴を振り返ると、学者から政界入りし、さらに民間企業のトップへと転身した異例のキャリアが際立ちます。1990年代に経済学者として頭角を現した同氏は、2001年に発足した小泉純一郎内閣において経済財政政策担当大臣に抜擢され、不良債権処理や郵政民営化といった構造改革・規制緩和の旗振り役を務めました。
ここで後年まで続く激しい議論の火種となったのが、労働者派遣法の改正です。1999年の原則自由化に続き、2004年には製造業への派遣労働が解禁されるなど、日本の労働市場は急速な流動化へ舵を切りました。竹中氏はこの規制改革を強力に後押しした中心人物とみなされています。
問題視されたのは、政界を退いた後の身の振り方でした。2006年に参議院議員を辞職した竹中氏は、翌2007年にパソナの特別顧問に就き、2009年には取締役会長に就任します。この動きに対して、「自分が大臣時代に規制緩和を行って派遣業界のパイを広げ、その後に業界最大手のトップへ天下りして巨額の役員報酬を得ている」という露骨な利益相反(コンフリクト・オブ・インタレスト)批判が噴出しました。
これに対し竹中氏は、自著やメディアインタビューの中で「派遣法改正は厚生労働省が長年議論を積み重ねてきた政策であり、自身が特定企業のために誘導した事実はない」「日本経済の硬直化した雇用制度を打破するために労働市場の流動化が必要だった」と一貫して反論しています。しかし、政策決定者と受益企業のトップという二つの顔を持った事実は、現在に至るまで同氏に対する評価を二分する決定的な要因となっています。