ネット上の掲示板やSNSで頻繁に交わされる「伏見稲荷の夜間参拝は怖い」「夜に行ってはいけない」という噂。この言説は単なる心霊スポット的な怪談なのでしょうか、それとも明確な文化的・物理的根拠があるのでしょうか。
第一の理由は、神道と民俗信仰が交差する「異界」の雰囲気にあります。稲荷山には、明治時代以降に民間信仰として民衆が私的に建立した「お塚」と呼ばれる無数の石碑が鬱蒼とした森林の中に密集しています。それぞれに独自の神名が刻まれた無数の鳥居と石碑が薄暗い山陰に鎮座する景観は、昼間であっても独特の圧倒的な霊気を放っています。夜間になり、わずかな常夜灯の明かりの中にそれらが浮かび上がると、日本古来の「神聖なものに対する畏れ(オゾン)」が恐怖心へと転換されやすいのです。
第二に、狐(きつね)に対する民衆のフォークロアが関係しています。お稲荷さんの神使である白狐は、神意を伝える霊獣ですが、日本の民間伝承には「人を化かす狐」「憑き物としての野狐」の伝承が根強く存在してきました。さらに、かつて豊臣秀吉が母である大政所の病気平癒を祈願した際、「もし母の命が助からなければ、日本中の狐を狩り尽くす」という強烈な願文を伏見稲荷に宛てて出した逸話が残されているように、稲荷の神威は絶大な利益をもたらす半面、粗相があれば厳しい祟りがあるという両義的な畏怖が人々の無意識に刷り込まれてきました。
そして第三の理由は、極めて現実的な物理的安全性の問題です。本殿周辺や千本鳥居の序盤は夜間もライトアップされ提灯の灯りが灯っていますが、奥社を越えて四ツ辻、山頂へと続く山道は常夜灯が点在するのみで、足元は深い闇に包まれます。段差の不揃いな石段での踏み外し事故や、夜行性の野生動物(イノシシ、カラス、アライグマ等)との遭遇リスクは決して無視できません。夜間に稲荷山へ立ち入る場合は、十分な光量を持つ懐中電灯を携行し、複数人で行動することが鉄則となります。