AAAの日高光啓として若くして華々しい成功を収めながらも、彼は常に二重の葛藤の中にいた。昼はメインストリームのポップスターとしてステージに立ち、夜はアンダーグラウンドのクラブでマイクを握り、ラッパーとしてのスキルを磨き上げる。アイドル的扱いを受けることへの偏見、そしてヒップホップ界からの羨望と軽蔑の狭間で、自身の存在理由を模索し続けた日々だ。
だからこそ、彼には日本のメジャー音楽界が抱える歪みが痛烈に見えていた。個人の尊厳を削りながら成立するエンタメの消費構造に未来はない。その強い危機感と、才能ある若い世代に自分と同じ苦しみを与えたくないという切実な想いが、新時代の音楽プロダクション「BMSG」の創業へと自らを突き動かしたのだ。