鶴田浩二『赤と黒のブルース』耳に手を当てる歌唱の真相と昭和歌謡の哀愁

鶴田浩二『赤と黒のブルース』耳に手を当てる歌唱の真相と昭和歌謡の哀愁

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戦後復興が加速し、日本が新たな時代へと舵を切り始めていた1955年(昭和30年)10月、日本ビクターから発売された『赤と黒のブルース』は、日本のポピュラー音楽界に地殻変動をもたらしました。当時、松竹のトップスターとして甘いマスクで絶大な人気を誇っていた鶴田浩二は、独立プロの立ち上げや映画界のしがらみ、さらには私生活での波乱に直面し、精神的な転換期を迎えていました。

ビクター専属の映画俳優兼歌手として再出発を図る鶴田に託されたのが、作詞家・佐伯孝夫と作曲家・吉田正という希代のヒットメーカーによる渾身の一曲でした。当時の歌謡界は、哀愁を帯びた浪曲調の演歌や威勢のいい股旅物が主流を占めていましたが、吉田正が企図したのは、欧米のジャズやタンゴ、ブルースのエッセンスを取り入れた、洗練された都会調ムード歌謡の創出でした。

シベリア抑留の過酷な体験を経て復員した吉田正は、自らの内にあった深い孤独と、荒廃から立ち上がる東京の夜景を重ね合わせ、陰影に富んだメロディを紡ぎ出しました。鶴田浩二が持つ哀愁と翳り(かげり)を帯びた声質は、吉田の革新的な都会的哀歌と運命的な調和を見せ、当時のレコード売り上げ記録を塗り替える特大のヒットを記録したのです。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。