コンプレックスを自力で克服した人間に対し、周囲はなぜ称賛や祝福ではなく「嘲笑」を浴びせたのでしょうか。ここに本作最大のテーマである「傍観者の利己主義(エゴイズム)」が存在します。
芥川龍之介は作中で、人間心理の暗部を次のように鋭利に言語化しています。
「人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸をどうにかして切り抜けることができると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して言えば、もう一度その人を同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなる。」
周囲の人々は、内供の長い鼻を内心で見下しつつも「気の毒な高僧」として同情することで、無意識のうちに道徳的な優越感に浸っていました。しかし、内供が鼻を短くして自分たちと同じ「普通」の領域に足を踏み入れた瞬間、同情という名の見下しが通用しなくなります。その結果、他人の幸福に対する嫉妬と、「面白がっていた対象を失った物足りなさ」が生じ、あからさまな嘲笑や陰口という形で攻撃性が噴出したのです。
さらに、高僧でありながら俗物のように外見を気にして必死に治療したという「プライドの露呈」も、周囲の意地悪な笑いを加速させる要因となりました。自分を良く見せようと足掻く姿そのものが、周囲にとって格好の娯楽になってしまったと言えます。