累というキャラクターの異質さは、血鬼術の強さよりもその歪んだ精神構造にある。彼は他の鬼を配下として従えるだけでなく、母、父、兄、姉の役を割り振り、自らを「末っ子」に据えた狂気の家族ごっこを強要していた。
役割を果たせなければ日光で焼かれ、顔の皮を剥がされる。そこにあったのは愛ではない。恐怖による支配と、徹底した自己欺瞞だ。しかし、なぜ累はそこまでして「家族」という枠組みに拘泥したのか。彼が求めていたのは、肉体の強さでも無惨からの寵愛でもなく、失われた「無条件に自分を庇い、愛してくれる存在」の形骸だった。
自らの手で本当の絆を壊してしまったという無意識の罪悪感が、彼を偽物の絆の蒐集へと駆り立てる。他者に役目を押し付け、暴力で縛り付ける姿は、現代の機能不全家族やカルト的共依存のグロテスクな戯画でもあった。読者が累に覚える生理的な不気味さと胸を締め付けられる哀憐は、この病的な執着の生々しさに起因している。