「黒猫が前を横切ると不吉なことが起きる」というジンクスは、日本の路上でもまことしやかに語り継がれてきました。しかし、民俗学や歴史資料を紐解くと、このネガティブなイメージは日本古来のものではなく、明治以降に流入した西洋の迷信が定着したものであることが明確に分かります。
不吉説の源流は、12世紀から中世ヨーロッパ全土を覆ったキリスト教異端審問や「魔女狩り」の時代に遡ります。夜目が利き、足音を立てずに闇夜を駆ける黒猫の生態が魔女の使いや悪魔の化身と結びつけられ、黒猫を見かけること自体が災厄の予兆と恐れられるようになりました。当時の宗教裁判記録や民間伝承では、黒猫を災いの元凶として徹底的に排除した暗黒の時代が記録されています。
対照的に、日本における黒猫の歴史は極めて華やかです。平安時代の天皇である宇多天皇は、日記『寛平御記』の中で自身が飼育していた黒猫の毛並みの美しさとしなやかさを熱烈に絶賛しています。さらに江戸時代に入ると、黒猫は「あんず猫」「福猫」と呼ばれ、闇を突き通す鋭い眼光から「魔除け」「結核や労咳(ろうがい)除け」「商売繁盛」の守り神として重宝されました。夏目漱石の名作『吾輩は猫である』のモデルとなった猫も、家に迷い込んできた黒猫であり、漱石の妻・鏡子が「福猫が入ってきた」と可愛がった逸話は広く知られています。
つまり、日本本来の文脈において、黒猫との遭遇は災厄どころか「厄を払い、福を呼び込む絶好の機会」として歓迎されるべき出来事でした。