1997年2月から5月にかけて、神戸市須磨区周辺で小学生5名が相次いで襲撃撃され、女児2名が死傷、さらに当時11歳だった土師淳(はせ・じゅん)君が殺害・損壊されるという凶悪事件が発生しました。これが神戸連続児童殺傷事件です。
事件が異常視された最大の要因は、遺体損壊の残虐性と犯行声明文の内容でした。中学校の正門前に淳君の頭部を置いたうえ、口元には「さあゲームの始まりです」と警察を挑発する手紙を挟み込み、さらに地元新聞社へ第二の犯行声明文を郵送。「酒鬼薔薇聖斗」と自ら名乗り、社会を恐怖の底に突き落としました。
当時、劇場型犯罪の手口から成人男性の犯行と推測されていましたが、同年6月28日に逮捕されたのは須磨区内の中学校に通う当時14歳の中学3年生(少年A)でした。中学生による凶悪犯罪という事実は、日本の治安神話と教育現場を根底から揺るがす事態となりました。