食虫植物といえば南米のアマゾンやボルネオ島の熱帯雨林を連想しがちですが、実は日本国内にも多数の食虫植物が自生しています。尾瀬や釧路湿原などに広がるモウセンゴケやコモウセンゴケ、関東以西の湧水湿地に自生するトウカイコモウセンゴケなどは、日本の冷温帯〜暖温帯気候に適応した代表的な種です。さらに、栃木県の日光周辺や群馬県の庚申山には、世界で日本にしか自生しない固有種「コウシンソウ(Pinguicula ramosa)」が岩壁にへばりつくように生息しており、国の特別天然記念物に指定されています。
なかでも極めて特異な進化を遂げたのが、タヌキモなどの水中食虫植物です。水田やため池、浅い沼沢地に浮遊するタヌキモ類は、根を持たず茎葉を水中に展開します。その葉の一部に変形して無数につく1〜3ミリほどの透明な補虫嚢(ほちゅうのう)こそが、驚異の真空トラップです。
捕虫嚢は内部の水を細胞外へ排出することで常に「陰圧(負圧状態)」を維持しています。袋の入り口にある感知毛にミジンコやボウフラが触れた瞬間、密閉されていた弁が内側へ開き、水圧差によってわずか1000分の1秒という植物界最速の速度で獲物を水ごと丸飲みにします。目視では確認困難なミクロの世界で繰り広げられるこの物理的吸引アクションは、現代の流体力学研究者をも唸らせる完成度を誇ります。
しかし、環境省のレッドデータブックや各自治体の調査資料が示す通り、開発による湿地帯の消失や水質悪化、心無い愛好家による乱獲によって、日本の自生種の多くが絶滅危惧種に指定されているという厳しい現実は直視しなければなりません。