歴史の遺産として埋もれかけていたこの武道の極意を、戦後日本のスポーツ文化、ひいては国民的な教訓へと引き上げた立役者が、ヤクルトスワローズなどを率いて3度の日本一に輝いた名将・野村克也氏でした。野村氏は現役引退後の解説者時代から監督時代に至るまで、この言葉を最大の座右の銘として掲げ続けました。
野村氏が生前に語った数多くの手記やテレビインタビューの記録を振り返ると、彼が南海ホークス時代に味わった圧倒的強者・読売ジャイアンツへのコンプレックスが、この思考の出発点であったことがわかります。身体能力で劣る選手が、天賦の才に恵まれたスター軍団に勝つにはどうすればいいのか。その解こそが、データを重んじ、徹底的に根拠を積み上げる「ID野球(Important Data野球)」でした。
野村氏は自著『野村ノート』をはじめとする多数の文献の中で、次のように述べています。
「試合に勝ったときは、相手のエラーや風の悪戯など、幸運に恵まれた可能性があるから無邪気に喜んではいけない。だが、負けたときには必ず防げたはずの失策、サインの見落とし、不用意な初球ストライクがある。敗因を徹底的に解剖しない限り、同じ負けを繰り返す」
野村氏にとって、試合後のベンチ裏で行うミーティングは単なる反省会ではありませんでした。なぜそのカウントで外角低めではなく甘い変化球を投じたのか、走者のリード幅に目を配っていたのか――感覚に頼りがちなプロフェッショナルの現場から「なんとなく」を徹底的に排除し、敗北のメカニズムを白日の下に晒す作業でした。この徹底した失敗の原因と分析の蓄積こそが、弱小チームを常勝集団へと変貌させたエンジンだったのです。